日本語教師のつぶやき

金メダルに唇を

金メダルに唇を

 前回、消せる助詞と消せない助詞の話をしたが、助詞というのはほかにもいろいろな性質があってとてもおもしろい。
ひらがな一字にこんなにいろいろな意味や機能があるのかと、ワクワクする。

 よく、「は」と「が」の違いが難しいなどといわれるが、それに限らず助詞と助詞との違いはきちんと勉強した者にとってはそれほど難しくもない。
授業で「は」と「が」について勉強した学生が、ボランティアの日本人にその話をしたら、「そうだったの、知らなかった」とかえって驚かれた話を聞いたことがある。
日本人、日本語母語話者であるからこそ気が付きにくいのであろう。

 さて、今回は「に」と「と」の話。
「先生に相談する」「先生と相談する」、「に」のほうが一方的、「と」のほうが相互通行の感じがするが、どちらもいえる。
しかし、「彼女と結婚する」は「に」と言い換えができない。
結婚は一方的にはできないからである。

 この違いを説明するとき、よく、金メダルの話をする。
金メダリストがメダルにキスする場面がよくあるでしょう。
これは「金メダルにキスする」であり、「金メダルとキスする」ではない。「金メダルと」であれば(ここで黒板にメダルの絵を描く)、金メダルに唇があって(ここでメダルに唇を描き足す)、お互いに唇と唇を寄せ合ってキスしなければならない(爆笑)。

 「居眠り運転の車がバスと正面衝突した」はいえるが「居眠り運転の車がバスと追突した」はおかしい。
これは「バスに追突した」が適切である。
「バスと追突」しようと思ったら、前方のバスはバックして、前進する車とぶつかり合わなければならない。
この表現の違いは、場合によっては、事故原因を表す重要な手がかりになることもあり得るだろう。

 ほかにも、違いがわかりやすくて、しかもおもしろい例はないだろうか。
こういう説明を考えるのも日本語教師のお楽しみの一つである。



BY ペンネーム かおり
日本語学校勤務、
ボランティアも含めると10年以上日本語教育に携わっている。

消えることば、消せないことば

消えることば、消せないことば

 日本語には助詞がある。←この文なら、「に」「は」「が」が助詞である。
しかし、日常会話の中では、しばしば省略される。
日常言語で日本語を覚える非母語話者も、日本語学校の学生も、助詞を省いた日本語を言い、「日本人も(助詞を)言わない」と言い出す。
それは確かにその通りなのだが、しかしここで教師は負けてはいけないのだ。
わたしたちは、助詞を何でも省略しているわけではないのだから。
 
 「雨降った」「ごはん食べた」「学校行った」OK。
では、「はさみ切った」は? 
鋼鉄の特大はさみで普通のはさみを切ったところを想像してしまいませんか。
「はさみで切った」の「で」は省略されないのである。

 省略できるのは「が」(「は」のこともある)、「を」、「へ(に)」。
ほかは絶対にできないもの、場面によるものに分けられる。
しかし、非母語話者は、往々にして何でも消してしまう。

 「私昨日チンさん映画行った」。「チンさん映画」があるわけではなく、「チンさんと映画に行った」である。
これくらいならまだわかる。
「友達おみやげ買った」、友達がおみやげを買った? 
私が友達におみやげを買った?

 「先生笑われた」。実際、私は1レッスンで一度は学生全員を笑わせることを目標にしているので、よく笑われる。
しかしこの文、「先生に笑われた」なのである。
これでは話が全くかみ合わない。

 文法というものは、どこに潜んでいるのかわからない。
教科書に出ていることが文法のすべてではない。
頭痛で遅刻した学生が、「昨日友達酒飲んで今日頭痛い」と言い、「どうしてアンタが痛いのよ」と突っ込みたくなったとき、ああ、昨日友達と(私が)酒を飲んで、ということだな、と思い直す。
そして、飲み過ぎるのは休日の前だけにせよと学生を叱りつつ、意外な文法を再発見した喜びを感じる、日本語教師である。

BY ペンネーム かおり
日本語学校勤務、
ボランティアも含めると10年以上日本語教育に携わっている。

結婚は一瞬で

結婚は一瞬で

 「ごはんを食べている」「財布が落ちている」、この二つの文にはどちらにも「ている」が入っている
(あ、ここにも「ている」が)。
これを動詞の「テイル形」と呼ぶ。この二つの「ている」は、かたちこそ同じだが、意味するところは同じではない。

 「ごはんを食べている」といえば、料理の入った皿があり、箸を持ち、もぐもぐやっているところを想像するだろう。
しかし、「財布が落ちている」といっても、バッグから、あるいはポケットから、財布が地面に向かってダイビングするところを想像する人はいない。
財布は地面に静かに横たわっているはずである。

 これは「食べる」と「落ちる」の、動詞のタイプが違うことから説明できる。
「落ちる」のほうは、従来「瞬間動詞」と呼ばれている。
なるほど、財布が落ちるのは一瞬である。 「椅子に座っている」、これを説明するとき、ゆーっくり椅子に座ってみせる(「膝が痛い」とか言ってみる)。
だいたい爆笑される。これで、「座っている」の「ている」が「落ちている」の「ている」と同じグループであることが理解される。
「立っている」も同様、逆の動作をしてみせる。
またウケる。わかってもらえるのはいいのだが、教育とは体を使うものである。

 この「瞬間動詞」だが、この用語ではわかりにくいものもある。
「花が咲いている」の「咲く」も瞬間動詞。
つぼみからパカッと一瞬で花が開くのだろうか、見たことがないからわからない。
「彼は結婚している」の「結婚する」も瞬間動詞。
「瞬間どころか、一年間動詞だよ」とか、「十年経っても完了しない動詞」とか突っ込みたくなりませんか。
学生も、「負け犬の人の結婚も瞬間ですか」などと言い出す
(どうして「負け犬」を知っているのだ・・・)。

 最近はほかの用語を使うようにもなってきたが、日本語教育ではまだまだ「瞬間動詞」ということばが使われている。
まだしばらくは、「瞬間」をネタに学生との楽しいやりとりができるだろう。 

BY ペンネーム かおり
日本語学校勤務、
ボランティアも含めると10年以上日本語教育に携わっている。

連濁、あるいはテンテンの魔物

連濁、あるいはテンテンの魔物

 外国人の中には、日本に住んでいて、いつの間にか日本語を覚えてしまう人もいる。
それは悪いことではないが、微妙に間違っていることもある。
日本に6年住んでいて、一見日本語ペラペラのアメリカ人はこう言う、「カードはバコに入ってる」。

 彼はまず、「ゴミ」と「ゴミ箱」を覚えたのだろう。
「ゴミ+バコ=ゴミバコ」、だからゴミの入っているアレはバコだ。
彼の考え方は論理的である。
しかし日本語には、連濁という魔物がそこかしこに潜んでいるのである。

 連濁とは、2つ以上のことばがくっついて一つのことばになったとき、後ろのことばの頭が濁音、つまりテンテンのつく音になること。
これが実は厳密なルールがよくわからない現象で、そのくせそこら中にいくらでもある。
「生魚」は「なまざかな」ですよね、では「生椎茸」は? 
ナマジイタケといいますか?

 生活言語から日本語を覚えた非母語話者が「バコ」を覚えたのは無理からぬことであるが(ほかにも「バナシ」がある。
「昔話」「長話」などで覚えたのだろう)、日本語学校で日本語を習っても大差はないのだ、困ったことに。
日本語の教科書は文法が中心で、こういう音の変化については記述がない。
カリキュラムにないから、教わらないのだ。

 先日、初級がもうすぐ終わるクラスで漢字を教えたとき、「人口」ということばが出てきて、「口」の読み方を学生に聞いたら、「ぐち~」と言うのである。
「山口組のぐち~」と(どうして山口組を知っているのだ・・・)。
そこで、「山」と「口」がくっついているから「ぐち」になるのだ、という話をしたが、これもこういう発言が授業中に出てきて、教師が拾い上げたから教えることができたのであって、もともと教える予定には入っていなかった。
日本語教育の方法論はまだまだ開発途上である。

 いやしかし、連濁は日本語教師にとって魔物そのもの。
今日もまた、「大通り」はオオドオリなのに「札幌大橋」はオオバシにならないのはなぜだ・・・などと考えつつ石狩川を渡る(イシカリカワではない!)のであった。


BY ペンネーム かおり
日本語学校勤務、
ボランティアも含めると10年以上日本語教育に携わっている。

日本語教師のボランティア

だいぶ前のことになりますが、
日本語教師のボランティア中に

「ずいぶん」「だいぶ」「かなり」「ほとんど」はどう違うの?
と聞かれ、
ううとなった事がありました。

こういう微妙なところがけっこう大変だったんです。

「ほとんど同じだよっ」なんて、いい加減な回答じゃあいけません(笑)
何がどう違い、どう使い分けたらよいのかをわかりやすく説明しなくちゃ~なのです。

当事、こんなふうにお話したことを思い出しました。


いぶん
★+な
 ふつうよりひどい様子。「~な男だな。」
 特に相手のひどい態度を責めるような場合によく用いるが、それほど深刻なひびきはない。

★+と
 (思っていた以上に)はなはだしい様子。「今日はずいぶんと寒いね。」 

いぶ
★大部分
 全体の中の多くの部分

★大分
 非常にというほどではないが、少しとはとてもいえない程度である様子。
 「仕事がまだだいぶ残っている。」

なり
★+の
 ふつうの程度をだいぶ超えている様子。
 「その車はかなりのスピードで街中を走り続けた。」

とんど
★100%ではないが、それに近い程度である様子。
 「実現はほとんど不可能だ。」

★すべてといっていい程、全体の多くを占めている様子。
 「社内の人間はほとんど結婚している。」

★(打ち消しの語をともなって)ほとんど・・・ない
 まったくないわけではないが、きわめてまれである様子。
 大変量が少ない。あるいは頻度が低い。
 「家族そろって食事をとることがほとんどない。」
     
★【ほとんど・・・だ。】【ほとんどVるところだった。】【ほとんど ”動詞の連用形”かけた。】
 「子どもの頃、チフスでほとんど死掛けたことがある。」
 →もう少しというところで、そうなるところだったが、実際にはならなかったという意味。

さて、これをどう明確に教えようか、悩むところです。

まず、「ずいぶん」には少しマイナスの意味が入っていることを取り出してみました。
なので、学習者の母国でこちらのニュースを聞いて(札幌の予想気温)、
実際来てみると思っていた以上に寒い事を場面シラバスで説明。

続いて、「だいぶ」には最初に100%の量が決まっているものを提示してみました。
「宿題は終わりましたか?」「いいえ、だいぶ残っています。」

「かなり」は道路標識を見せて、制限速度が80kmのところを大幅に
オーバーしている様子を見せました。しかし、これはプラスの意味にも
使える点に注意。

「ほとんど」についてはこの4つの中で一番量が多い事、文脈の制限がゆるいこと、
このあたりを指摘してみました。

最近、忙しくて活動ができないのですが、
また復活したいです~~。

自分の日本語から見直したいです。 

とほ。

記事 comi
     byAmazing Ankh