消えることば、消せないことば
日本語には助詞がある。←この文なら、「に」「は」「が」が助詞である。
しかし、日常会話の中では、しばしば省略される。
日常言語で日本語を覚える非母語話者も、日本語学校の学生も、助詞を省いた日本語を言い、「日本人も(助詞を)言わない」と言い出す。
それは確かにその通りなのだが、しかしここで教師は負けてはいけないのだ。
わたしたちは、助詞を何でも省略しているわけではないのだから。
「雨降った」「ごはん食べた」「学校行った」OK。
では、「はさみ切った」は?
鋼鉄の特大はさみで普通のはさみを切ったところを想像してしまいませんか。
「はさみで切った」の「で」は省略されないのである。
省略できるのは「が」(「は」のこともある)、「を」、「へ(に)」。
ほかは絶対にできないもの、場面によるものに分けられる。
しかし、非母語話者は、往々にして何でも消してしまう。
「私昨日チンさん映画行った」。「チンさん映画」があるわけではなく、「チンさんと映画に行った」である。
これくらいならまだわかる。
「友達おみやげ買った」、友達がおみやげを買った?
私が友達におみやげを買った?
「先生笑われた」。実際、私は1レッスンで一度は学生全員を笑わせることを目標にしているので、よく笑われる。
しかしこの文、「先生に笑われた」なのである。
これでは話が全くかみ合わない。
文法というものは、どこに潜んでいるのかわからない。
教科書に出ていることが文法のすべてではない。
頭痛で遅刻した学生が、「昨日友達酒飲んで今日頭痛い」と言い、「どうしてアンタが痛いのよ」と突っ込みたくなったとき、ああ、昨日友達と(私が)酒を飲んで、ということだな、と思い直す。
そして、飲み過ぎるのは休日の前だけにせよと学生を叱りつつ、意外な文法を再発見した喜びを感じる、日本語教師である。
BY ペンネーム かおり
日本語学校勤務、
ボランティアも含めると10年以上日本語教育に携わっている。
日本語には助詞がある。←この文なら、「に」「は」「が」が助詞である。
しかし、日常会話の中では、しばしば省略される。
日常言語で日本語を覚える非母語話者も、日本語学校の学生も、助詞を省いた日本語を言い、「日本人も(助詞を)言わない」と言い出す。
それは確かにその通りなのだが、しかしここで教師は負けてはいけないのだ。
わたしたちは、助詞を何でも省略しているわけではないのだから。
「雨降った」「ごはん食べた」「学校行った」OK。
では、「はさみ切った」は?
鋼鉄の特大はさみで普通のはさみを切ったところを想像してしまいませんか。
「はさみで切った」の「で」は省略されないのである。
省略できるのは「が」(「は」のこともある)、「を」、「へ(に)」。
ほかは絶対にできないもの、場面によるものに分けられる。
しかし、非母語話者は、往々にして何でも消してしまう。
「私昨日チンさん映画行った」。「チンさん映画」があるわけではなく、「チンさんと映画に行った」である。
これくらいならまだわかる。
「友達おみやげ買った」、友達がおみやげを買った?
私が友達におみやげを買った?
「先生笑われた」。実際、私は1レッスンで一度は学生全員を笑わせることを目標にしているので、よく笑われる。
しかしこの文、「先生に笑われた」なのである。
これでは話が全くかみ合わない。
文法というものは、どこに潜んでいるのかわからない。
教科書に出ていることが文法のすべてではない。
頭痛で遅刻した学生が、「昨日友達酒飲んで今日頭痛い」と言い、「どうしてアンタが痛いのよ」と突っ込みたくなったとき、ああ、昨日友達と(私が)酒を飲んで、ということだな、と思い直す。
そして、飲み過ぎるのは休日の前だけにせよと学生を叱りつつ、意外な文法を再発見した喜びを感じる、日本語教師である。
BY ペンネーム かおり
日本語学校勤務、
ボランティアも含めると10年以上日本語教育に携わっている。



